批評家宣言!!

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』の感想

ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』を観てきました。


まず最初にストーリーを簡単にまとめておきます。
エイミーとテイラーという二人の姉妹の絆をテーマにした二部構成の映画でした。
Aパートはエイミーのデェビュタントを、ヴァイオレットがサポートするエピソードでした。
またエイミーと生き別れたテイラーという妹の過去も明らかにされます。
Bパートではテイラーが郵便社までやってきて郵便社で働かせてくれとヴァイオレット達に嘆願します。
そして結局テイラーは郵便配達員の見習いとして働きながら、エイミーに手紙を書きます。
そしていつの日か二人が再会できることを二人は願い続けるという結末です。


しかし、この映画は主人公ヴァイオレットに注目して鑑賞すると、また別の味わいが出て来ると思います。
まずデェビュタントをひかえたエイミーですが、彼女はデビュタントでお披露目がなされたのち、貴族の家に嫁ぐように父親から言いつけられています。
さらにエイミーの侍女を務めるヴァイオレットですが、デェビュタントの舞踏会でのヴァイオレットとエイミーの二人の様子はまさに、新郎と新婦のようにみえます。

ここで補助線として想起したいのが、『ボールルームへようこそ』というアニメです。
ボールルームへようこそ』において、スポーツとしての社交ダンスにチャレンジしていくさまは、ロールモデルをもたない富士田 多々良(ふじた たたら)や緋山 千夏(ひやま ちなつ)達男女が、自分達の役割を模索する姿に他なりませんでした。


それを踏まえたうえで、Aパートの舞踏会のシーンは、ヴァイオレットとエイミーが擬似的な結婚式を挙げる場面として、読み取ることができるのではないでしょうか?

Bパートではヴァイオレットがテイラーという子どもをもつエピソードとして読み直すことができると思います。
テイラーはまだ字が読めないため、文字をヴァイオレットが教えてあげます。ヴァイオレットがテイラーに文字を教えるという行為は、かつて育ての父親であったギルベルトから文字を教わったという体験と無関係ではないでしょう。
ヴァイオレットが擬似的な親の役割を引き受けていることが読み取れます。
またBパートではベネディクト・ブルー(金髪の青年)の存在が前景化してきます。
ベネディクトは擬似的な若き父性の役割をになっているために、Bパートから存在が前景化してくるのだと考えられます。

以上のことから『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝』を一言でまとめるなら、ヴァイオレットが擬似的な結婚をし、ヴァイオレットがこれまた擬似的な子どもをもつようになるエピソードの両面で構成されているのではないでしょうか。


ところでヴァイオレット・エヴァーガーデンは新作の劇場版の制作が決定しております。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は今後、父親のありかた、父権制のありかたが大きくクローズアップされていくはずです。
なぜなら、外伝の映画ではエイミーを強制的に嫁がせた父親の問題が未解決だからです。
とすれば、ヴァイオレットの義父ともいえるギルベルトの存在も、今後、焦点化されるはずなのだと思います。

『リズと青い鳥』感想

リズと青い鳥』の感想を書き残しておきたく思い筆を執った次第でございます。


昨晩『リズと青い鳥』のDVDを購入し、拝見、拝聴させて頂きました。
京都アニメーション制作、山田尚子氏が監督を担当、脚本は吉田玲子氏が担当なさっております。
絵コンテは山田尚子監督御一人でクレジットされております。
さらに、演出は石原立也氏、武本康弘氏、山田尚子氏、小川太一氏、澤真平氏などそうそうたるスタッフが参加されております。
澤真平氏などは今後とも素晴らしい演出家となって頂きたいと存じるばかりございます。

 


私なりの『リズと青い鳥』に関する感想は、のぞみとみぞれの視点が入れ替わる手法が、誠にスリリングな映画の完成に寄与している、というものなのです。


この映画は先ず、みぞれが視点人物となって、あるいは、みぞれの視点に寄り添う形でカメラが回されていきます。
ところが、新山先生が生物準備室でみぞれに音大への受験を進めるシーンで、のぞみとみぞれの視点が入れ替わります。
フルートが反射する太陽光や手を振り合っていた窓が、今度はのぞみの視点から撮り直されます。


そして、みぞれ(音大のパンフレットを手にしている)とのぞみが会うと、みぞれは<嘘>をつきます。
例の髪の毛を触りながら、最初は新山先生から音大への進学を勧められたことを自ら言い出そうとはしないのです。
結局、のぞみも音大への進学を考えるようになります。のぞみにつられて、みぞれも音大への進学を考えるようになります。

しかし物語の後半で明らかにされるように、のぞみの音大への進学理由とは、音大進学希望と言っておけば、才能あるみぞれと対等になれるような気がするからというものでした。
つまり、のぞみの音大への進学理由とは、みぞれに近づくためであったのです。
みぞれがのぞみを追いかけて音大への進学を決めたのと同様に、実はのぞみもまたみぞれに近づく=「対等になるため」に音大への進学を希望したのです。
吹奏楽部での厳しい練習を経るうちに、みぞれの音楽的才能が露わになり、のぞみとみぞれの二人の真の関係性が露呈していきます。
なにより「リズと青い鳥」という童話をめぐる、のぞみとみぞれの振り当てられた役割を二人は自覚していきます。
リズ=みぞれ/青い鳥=のぞみという図式だと思い込んでいた二人は、リズ=のぞみ/青い鳥=みぞれだと気がつくのです。ここでも、二人の関係性は逆転しているのです。
視点の逆転、関係性の逆転によってこの映画は、スリリングな作品として完成しているのだと思います。
そもそも、青い鳥とは「空を映した湖のような」青色をしています。空/湖という両義性をもった存在が青い鳥なのです。
とすれば、音楽の才能に恵まれたみぞれだけでなく、普通大学を受験するのぞみも青い鳥になりうることができるのです。

のぞみは、みぞれの音楽的才能に嫉妬しますが、最終的にはお互いが別々の進路を選び対等な関係性へと辿り着くのです。
映画のラストにおいて、のぞみがみぞれを振り返る場面は、二人の関係性が対等な関係性へと辿り着き、互いの顔や表情を確認しあっているのです。
ハッピーアイスクリーム!!!

2018年7月27日の出来事と細田守監督『未来のミライ』について

サボっていた経理の仕事を片付ける。

台風が来ているので、28日の友人とのお食事会は別日になった。残念です。

研究資料を整理してながら目録を作成する。早く論文にしなければならない。

心療内科精神安定剤睡眠薬を処方してもらいにいく。

家に帰って本を読む。

ネットで大量に本を購入してしまう。真剣に読んで自分の人生の糧にしたい本は、自腹で買わないといけないと常々思っている。貧乏暮しはつらいが。

 

先日、細田守監督作品『未来のミライ』を観てきた。個人的には傑作だと思うのだが、世評はどうなんだろうか。『おジャ魔女どれみ』時代から、ぼくは細田監督のファンだから、微力ながら応援しています。

細田守監督の『未来のミライ』は、素晴らしい映画なので、是非劇場でみなさん観て下さい。

未来のミライ』について簡単に感想を記しておきます。

アクションシーンはあまりないが、家族の物語として傑作だと思う。子供育ての大変さがキチンと描かれてるし、子供のウザさもキチンと描かれているからこそ、この映画は良作になっている。結末は思わず泣いてしまいます。正直なことを言えば、この映画はもっと評価されて欲しいです。

ちなみに、代々受け継がれる雛人形が、作中で重要な小道具として登場する。これって、おジャ魔女どれみナイショの最終回を思い出します。

おやすみなさい。明日は台風です。お気をつけて。