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『リズと青い鳥』感想

リズと青い鳥』の感想を書き残しておきたく思い筆を執った次第でございます。


昨晩『リズと青い鳥』のDVDを購入し、拝見、拝聴させて頂きました。
京都アニメーション制作、山田尚子氏が監督を担当、脚本は吉田玲子氏が担当なさっております。
絵コンテは山田尚子監督御一人でクレジットされております。
さらに、演出は石原立也氏、武本康弘氏、山田尚子氏、小川太一氏、澤真平氏などそうそうたるスタッフが参加されております。
澤真平氏などは今後とも素晴らしい演出家となって頂きたいと存じるばかりございます。

 


私なりの『リズと青い鳥』に関する感想は、のぞみとみぞれの視点が入れ替わる手法が、誠にスリリングな映画の完成に寄与している、というものなのです。


この映画は先ず、みぞれが視点人物となって、あるいは、みぞれの視点に寄り添う形でカメラが回されていきます。
ところが、新山先生が生物準備室でみぞれに音大への受験を進めるシーンで、のぞみとみぞれの視点が入れ替わります。
フルートが反射する太陽光や手を振り合っていた窓が、今度はのぞみの視点から撮り直されます。


そして、みぞれ(音大のパンフレットを手にしている)とのぞみが会うと、みぞれは<嘘>をつきます。
例の髪の毛を触りながら、最初は新山先生から音大への進学を勧められたことを自ら言い出そうとはしないのです。
結局、のぞみも音大への進学を考えるようになります。のぞみにつられて、みぞれも音大への進学を考えるようになります。

しかし物語の後半で明らかにされるように、のぞみの音大への進学理由とは、音大進学希望と言っておけば、才能あるみぞれと対等になれるような気がするからというものでした。
つまり、のぞみの音大への進学理由とは、みぞれに近づくためであったのです。
みぞれがのぞみを追いかけて音大への進学を決めたのと同様に、実はのぞみもまたみぞれに近づく=「対等になるため」に音大への進学を希望したのです。
吹奏楽部での厳しい練習を経るうちに、みぞれの音楽的才能が露わになり、のぞみとみぞれの二人の真の関係性が露呈していきます。
なにより「リズと青い鳥」という童話をめぐる、のぞみとみぞれの振り当てられた役割を二人は自覚していきます。
リズ=みぞれ/青い鳥=のぞみという図式だと思い込んでいた二人は、リズ=のぞみ/青い鳥=みぞれだと気がつくのです。ここでも、二人の関係性は逆転しているのです。
視点の逆転、関係性の逆転によってこの映画は、スリリングな作品として完成しているのだと思います。
そもそも、青い鳥とは「空を映した湖のような」青色をしています。空/湖という両義性をもった存在が青い鳥なのです。
とすれば、音楽の才能に恵まれたみぞれだけでなく、普通大学を受験するのぞみも青い鳥になりうることができるのです。

のぞみは、みぞれの音楽的才能に嫉妬しますが、最終的にはお互いが別々の進路を選び対等な関係性へと辿り着くのです。
映画のラストにおいて、のぞみがみぞれを振り返る場面は、二人の関係性が対等な関係性へと辿り着き、互いの顔や表情を確認しあっているのです。
ハッピーアイスクリーム!!!